確率共鳴を利用した新しい情報処理のためのナノデバイスと集積化


1.確率共鳴とは

確率共鳴とは「雑音によって応答が最適化される」現象です。
イメージを下図に示します。上の3枚が入力、下の3枚が確率共鳴の出力です。中央の像で入力よりも出力において花があることが明確に見て取れます。
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確率共鳴は、地球上の氷河期が10万年スパンで周期的に到来するメカニズムとして1981年に提案されたのが最初でした。氷河期の周期は、ミランコビッチサイクルと呼ばれる地球の太陽系における軌道や地軸の傾きからくる周期的変動とほぼ一致しています。地球が太陽から遠ざかると地球上の気温が低下します。しかし、軌道変動がもたらす気温変化量は氷河期に至るほど大きくありませんでした。そこで、ミランコビッチサイクルに「ランダムな要素」が加わり氷河期へ切替わる、と説明しました。

確率共鳴の原理は「ゆらぎによる非線形系における状態遷移」です。
抽象的な用語は次のように捉えることができます。

非線形系 = 「山がある」
ゆらぎによる状態遷移=「自力ジャンプで山越えできなくても、よいタイミングで突風が来ると飛び越えられる」

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確率共鳴の概念が報告された後、1993年に水中におけるザリガニの敵察知(センシング)が環境ゆらぎによって向上するという確率共鳴的挙動が観測されました。これが起点となり、様々な生体の機能に確率共鳴が見出され、生体系のセンシング・信号伝送・信号処理において重要な役割を果たしているということがわかってきました。人間とて例外ではなく、視覚、聴覚、姿勢制御、心拍制御など多岐に渡って確率共鳴的挙動が観測されています。認知症患者の脳に雑音刺激を与えると情報処理機能が改善されるという報告もなされています。ザリガニ以来、確率共鳴は主たる舞台は生体にありました。



2.確率共鳴の電子工学的応用

本研究の目標は、「確率共鳴を電子工学的に利用できるようにすること」です。
歴史的にみると、確率共鳴の概念が報告された翌々年1983年にはシュミットトリガー回路で実証され、その後超伝導素子等いろいろな電子系で人工的に現象が再現されています。よって、電子的に利用できないわけではありません。そもそも、雑音にうもれた電気信号を確率共鳴をつかってとりだそう、ということは誰しもが考えることでありました。実際特許も複数出願されています。しかしながら、信号処理におけるディザ(dither)を除いて、20年以上実用化には至っていません。
2つほど理由が考えられます。
まず、確率共鳴のメリットが明確でなかったことを指摘しておきます。これまでは線形系で雑音は取り除くあるいは十分抑制することができたためです。逆説的ですが、非線形系を用いる確率共鳴を持ち出す必要がなかった、という理由です。しかし、近年雑音の除去が困難になってきています。線形系が巧く機能するのは、信号や雑音の性質をあらかじめ予測できる場合です。昨今雑音が環境によって大きく変動する、また信号も間欠的で動的に変化し、予測が不能になりつつあります。
もう1つの理由は、「使いやすい仕掛け(=デバイス)が無い」ことが挙げられます。具体的には、室温で動作する、コンパクトで複数並列集積化できる、作製し易さ、制御性を兼ね備えた仕掛けが求められます。

確率共鳴の積極的な利点もあるはずで、その一例に触れておきます。確率共鳴をおこす系に雑音を加えない場合と加えた場合を比較した図を示します。雑音を加えるとノイジーに見えますが、離れてみると濃淡(灰色)があるように見えるはずです。これは元の信号の階調情報(振幅、強度)が出力に残っているためです。雑音を加えない場合は、完全に階調情報は失われています。確率共鳴のこの振舞いは、パルス密度変調と呼ばれる信号処理に似通っています。確率共鳴系では、雑音は建設的役割りを果たしており、元の信号の情報を保存することに役立っていると言えます。

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3.確率共鳴電子ナノデバイス

研究開発すべきは、「確率共鳴をひきおこすことができる使いやすい電子ナノデバイス」ということになります。
「ナノデバイス」というのは小さいデバイスです。小さくなければならない理由は、我々の神経系のように多数の要素を集積化する必要があるためです。
また「生体が雑音やばらつきのようなゆらぎのなかでも省エネルギーできちんと機能する、そのしくみを理解し電子工学的に利用したい」、という目的に確率共鳴デバイスが役立ちます。 たとえば、このような応用が考えられます。電子をひとつづつ操作する単電子デバイスです。電子工学において究極の低エネルギー化をもたらすと期待されていますが、雑音で電子1個の信号はすぐにかきけされてしまいます。確率共鳴をうまくつかえば、かき消された信号をとりもどすことができるかもしれません。そうすれば、今まで使えなかった単電子デバイスが利用できるようになります。



4.私共の研究

ナノサイズの半導体電界効果トランジスタで明確に現象を引き起こすことに成功しました。
いまもっとも利用されている半導体トランジスタで現象が起こるため、これ以上に使いやすいものはありません。これも確率共鳴を知る誰しもが想像できることでありますが、実際に実験実証した例はありませんでした。
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また前述の様に生体の神経系のように多数の要素(ここではトランジスタ)を並列化することによって確率共鳴を強化できることもわかりました。これが、先ほど触れた、デバイスが可能な限り小さいほうが望ましい理由です。並列化の有用性を生体ではなく制御された人工系で実験的に示した数少ない例です。幾つ並列化するとどの程度性能が向上するのか、具体的なことも理解できるようになってきています。

どうして単電子デバイスで確率共鳴がおこるのか? この問いの解答にも取り組んでいます。
単電子デバイスの確率共鳴は2004年に北大雨宮・浅井研でのシミュレーション研究で見出されています。しかし、原理と挙動が理解されていませんでした。単電子ダイナミクスを記述する方程式を調べ、最近、報告された結果をかなり正確に再現できることがわかりました。そして現在実験的に証明しようと準備をすすめています。



5.最後に

確率共鳴は電子工学のなかで意識されつつも、いまひとつ本気に研究されてこなかったように感じます。電子工学の分野ではまだマイナーな研究分野ですが、今後雑音のもとで応答がたかまる確率共鳴の重要性は増すと考えられます(追記:ここ1年ですこしずつ認知されてきた)。
現段階の性能からすると、例えば、センサーに応用することが挙げられます。SN比が向上すると、信号通信、処理へと応用が拡大します。マイクロプロセッサでは、省エネルギー化のため確実に信号の電圧はさがり、一方で微細化によりデバイスが周囲から受ける雑音の影響が日増しに大きくなっています。信号雑音比(SR比)はマイクロプロセッサーの世代がすすむごとに悪化し、2020年には予期せぬエラーになやまされることになると予想されます。もちろん電源電圧を高くすればエラーは生じません。しかし、将来の地球環境・エネルギー資源を守る技術が求められている現在、電力を費やす技術で妥協することは許されません。
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また、われわれ人類は、生物が実現している高い機能性と省エネルギー性を高度に両立する方法をまだ手にしていません。設計したり意図的にコントロールができる電子デバイスで確率共鳴を追求することは、こうしたまだ知られていない生体システムの理解につながるはずです。


(2009.8.10記載、2010.10.7改訂)

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